ライちゃんの足跡🐾〜20年と7ヶ月生きた証明書〜

腎臓病と言われてから7年、20才と7ヶ月まで生きた愛猫に感謝とその証を残したいと思いました。

今日は愛猫ライの初七日です

 そうなんです、愛猫ライが旅立ってからまだ1週間なのです。私の悲壮感・喪失感があまりにひどかったので、お葬式のあとぐらいから、まだまだライと繋がっていたくて、生きていた姿を思い出しながら、なぜかこのブログを書こうと思ったのです。そうすることで大泣きしなくなったというか、少し落ち着いたというか…普通に仕事にも行っていますので。

 もしかしたらですが、愛猫ライが、そう仕向けているのかもしれませんね。

 いろいろと不思議だったのです。ちょうど私の仕事が一段落して、休みやすい日でした。いつも土曜日に出勤の妹がたまたまお葬式の日の土曜日は休みでした。母は次週が旅行でした。あんなに息苦しそうだったのに、朝病院へ行くときと診察中は普通にしていました。

 点滴を打ったにも関わらず病院から帰ると、また発作が始まり、その日の夕方に私の腕の中で息を引き取ったのです。発症してから、わずか20時間でした。おそらくの病名は『大動脈血栓症』、猫では非常にめずらしく、永田動物病院の永田先生は「大事にされてきたからこその病気です。病名を診断するには負担になる検査が必要ですが、しなくていいと思います。たぶん症状からすると大動脈血栓症です。突然前触れもなく発症し、血液が固まる病気です。人間で言うと脳梗塞とかが近いかもしれませんね」と。もちろん検査して病名がわかれば手術などもできたかもしれません。けど1.8kgの体重でどこまで耐えられるか…苦しむだけの可能性が高いのです。たしか、2kgぐらいまで体重が落ちたときに「これ以上増えたら腎臓に負担がかかり、これ以上減ったら生命維持が難しくなります」と2-3年前に言われました。かなりの生命維持ギリギリだったのではないでしょうか?あと何日かすれば、腎臓の機能が停止していたかもしれない。けどあえて発症から亡くなるまで短い期間のこの病気を選んだのではないかと…。発症する少し前まで、いつもどおりのごはんを食べていました。

 つまり、愛猫ライからのメッセージは、「誰のせいでもない、仕方ない病気なんだよ」と知らせるために病院へ私を行かせたかったのかなと。

 あまりに私の心の準備なく旅立った愛猫ライ。でも本当にギリギリまで、そしてちゃんとみんなから見送ってもらえる時を選んで旅立ったのでしょう。